私の脳はこれでできている!

株式会社ゲイズ 矢野雅也のblogです。

希望の国
JUGEMテーマ:映画



よく思う、人間から劣等感やプライド、虚栄心を取ったら何が残るんだろう。
欲望、これは一次的なものなのでわかりやすい。
劣等感やプライドは二次的なもので、よくわからない、
人間関係で地雷を踏む原因のほとんどがコレ、
本人ですら自覚してなかったりするのだから、ましてや他人にわかるわけがない。

そこで役に立つのが想像力というやつ、
自分のボディから幽体離脱して他人に憑衣し、その人の目線でものを見て、
その人の経験値で物事を感じ取る。
それには情報収集が大切で、よく知ってるツモリでも、
意外に相手のことがわかってなかったりするのはコレが足りない、
なのに勝手に自分なりの思い込みを押し付けることが敗北の原因。

本を読んだり、映画を観たりしているときは、
情報の量が限られているので、自ずからその行間を補填するのが想像力。
ストーリーをヴァーチャルな事実と仮定し、その情報をもとに憑衣しやすい登場人物になりかわる。

昔、「ベイブ」という映画を1人で観に行って、大泣きしたっけ、
ブタに感情移入しちゃった。

「希望の国」では鈴木家の息子ががれきの中で彼女にプロポーズをする。
彼女は何度もちいさくうなずいて、ここは泣かせるところですよね。

家族を病気や事故で失うことは、何とか受けとめられるけれど、
津波に攫われていなくなったらずーと探すしかないじゃないか。
喪失を受け入れて、新しい家族を作ろうとすることで前にすすんでゆく。

目に見えない放射能があるという2次的な情報だけで、
家や畑、田んぼや家畜を奪われ、家族とも分断される生活
生きる場所と生きる方法をあっという間に奪われたらどうにも対処のしようがないよね。

夏八木勲と大谷直子はすごく良かった。
でもこの映画、震災前にホラー映画として作るべきだったかも。



| 見た映画 | 02:59 | comments(0) | trackbacks(0)
スーパー8


まずは原発の話。
JCIの「東京ディスカッション」をニコ動で見て、池上彰さんに、少しがっかりしました。
震災後のテレビ番組で、放射能汚染はたいした事無いといった発言をされてましたが、今回のディスカッションは、全く池上さんらしくない。
いつもの彼だったら、“原発”という言葉を“戦争”という言葉に置き換えて、
その是非を語る事ができたはず。
かつて戦争は、時代的、経済的な必然性を伴った、政治の判断による軍隊の暴走と捉えられていた時期がありました。
それはあり得ないでしょうというのが、現代の国際世論です。
極めて危険な事故を起こす危険のある原発、その運転者が、事故を隠蔽し、政府もその肩をもち、結果多くの人々に被ばくをさせて、知らん顔をしている。
運転者、管理者が信頼できなければ、危険な事業を託すべきでは無い。
何は差し置いても、守らなければならないのは人間の尊厳であり、経済的な利益ではあり得ない。


映画の話。
自主映画を制作している子供たちが、とんでもない事件に巻き込まれる。ものすごい展開なのだけれど、結局描いているのは家族の愛と友情について。
エンドロールのゾンビ映画は超ー面白い!

やっとの思いで、映画の主役として参加してもらった女の子のリハーサルでの演技がすごくて、みんなが言葉を失う。
女子はやっぱスゴいよね!

夏休みの映画としてはオススメです。
| 見た映画 | 01:38 | comments(0) | trackbacks(0)
神聖かまってちゃん


待望の入江監督の新作!
“神聖かまってちゃん”というニコ動で大ブレイクしたバンドのライブをクライマックスに、そこに向けて、3人の主人公が、それぞれの葛藤を淘汰してゆく、ハートウォーミングな群像劇である。

“神聖かまってちゃん”のバンドマネージャー
保育園に通う子供を抱え、ダンサーとして働くシングルマザー
無理解な両親と引き蘢りの兄を持ち、プロ棋士をめざす女子高校生

まあすんなりとは世の中を渡っていけそうにない人たち。

なぜか、僕から見ると、それぞれが、とても楽しそうに暮らしているように見える。

もしかしたら、僕の方が、彼らなんかよりもずっと悲惨な思いをなめてきたから?
まさか、自分は全くのオーディナリーピーポーの一人だと、そう思いたいなあ。

要は映画がつまらんのだ!
ちまちまとした日常を描くならもっとうまくやってほしい。
小津安二郎、そして木下恵介を見習ってほしい。
彼らの描く世界は、日常ど真ん中ではあるが、
人生のささやかな悲哀や、喜びに満ち満ちていて、
心に滲みいってくる。

まるで安手のテレビドラマのように、予定調和的な問題が、時間内(1時間40分)にエンディングに向かって昇華されていく。
確かに、全体にそつのない作りで、ストーリーの軸に今の時代を象徴するようなバンドを持ってきたのは良かったけれど、
なんかちいさいなあ!!

期待してんだから、もっと頑張ってくれよ!
高校生向けの教育映画作ってんじゃないんだからな。

こんなブログ誰も読んでないと思うので、書いてますけど、
もし監督本人に会ったりしたら、
“いやー良かったです”
かなんか言ってサインもらったりするのかなあ。

園子温監督に会ったときに、ちゃんと作品ほめておけばよかった。
| 見た映画 | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0)
ヨコハマメリー


秀逸な映画だと思う。
僕は幼稚園時代と中学から高校までを横浜で過ごし、
メリーさんにはたびたび遭遇している。
当時はまだ40代だったと想像するが、白塗りの顔にくっきりと描かれたアイライン、当時はほとんど黒に近い紫色の口紅で、シルバーの髪ベルサイユを思わせるドレスで、気がつくと人形のようにすぐそばに存在した。
あるときは横浜眦膕阿療稿癲△泙燭△襪箸は伊勢佐木町の喫茶店で、まっすぐに背中をのばし、微動だにせず大きく目を見開いて座っていた。
幼稚園時代の伊勢佐木町の町はよく覚えていて、不二家の2階で食べるペコちゃんサンデーや、有隣堂書店、博雅のシュウマイ、そして真っ赤に塗られた、ほていや百貨店、縄のれんの牛鍋屋など、
僕にとっては、ここが大都会だった。
メリーさんによく遭遇していたのは中学生時代、JohnJohnという、ホットドッグ屋、ウィンピーハンバーガー、馬車道珈琲屋を行き来し、喫茶リボンヌ、ロック喫茶ムーティエ、塾。まあ不良一歩手前ぐらいですかね、その後は黄金町や若葉町にも足を踏み入れるのだけれど、その頃至る所でメリーさんと遭遇していたような気がする。
その風体から、僕は彼女の事を大金持ちのマダム(黄金町あたりの怪しげな店の経営者)だと思っていて、なぜなら眦膕阿瞭蛋サロンでも、伊勢佐木町の路地裏のボローい喫茶店でもよく出会うのだ。どんなときもまっすぐに背中をのばし、全く存在を消していた。喫茶店のボックスでふと気がつくと真後ろからじっと見つめる視線に気づいて、思わずぎゃあ!と叫んでしまった事も。
映画にはメリーさんと関わりのあった人たちが登場し、メリーさんと、彼女が町の風景だった時代の横浜を語る。
シャンソン喫茶を経営するオカマの歌手のおじさんは、いつも顔や髪をきれいに整え、自らの過去とメリーさんの人生を重ね合わせてゆく。
映画は、目線の統一という事が重要だ。
映画「告白」は、狙いかもしれないが、一つの出来事を様々な人の目線で描く事によって、結局何も伝えていない。
典型的な内容の無い映画になってしまっている、
特にドキュメンタリーにおいてはなおさら大切。
僕にとってのメリーさんが街の風景の一部分であったのと同じように、人々はメリーさんの思い出を追って、かつて自分が過ごした横浜へと、カメラを伴い時間を遡ってゆく。彼らの若かりし頃の風景が、それぞれのの言葉で紡ぎだされてゆく。外人と愚連隊のたむろする24時間営業の根岸屋。唖、白人専門、黒人専門、この3種類の娼婦たち、バンドによるにぎやかなJAZZの演奏。2階には座敷があって、芸者がいた、その芸者か語るメリーさんとの喧嘩の思い出。
この映画は、昭和の時代の横浜の風景を語る語り部たちの物語である。写真で登場するメリーさんは、年をとって、背中が曲がり、小さく縮んでしまっている。あの凛とした面影は残ってはいるものの、化粧をしたチンドン屋のような姿に変わっていた。
人々はそんな彼女に親しみと、憐憫を覚え、彼女のプライドを慮りつつ、そっと手を差し伸べようとする。
この、人を思いやる心が、そして夢の国のような往時の横浜が、この映画のテーマとして浮かび上がってくるのだ。
最後の最後まで、メリーさんに寄り添うのは末期の癌を煩うシャンソン歌手の男性だ。自分の母のように、大切に、大切に思う気持ちを歌に込める。
カメラはとうとうメリーさん本人を映し出すのだが、彼女は何も語らない。そしてカメラも何も聞こうとはしない。
謎に包まれたままのメリーさんの人生を暴いて何になるのか。
シャンソン歌手に手を引かれた、小さな老婆は、もはや白塗りの姿をしていない。どこにでもいる老人として、その余生を老人ホームの仲間と過ごしている。
映像が伝えられる事の中でも最上級のもの!
ほめ過ぎだろうか、ぜひたくさんの人に見てほしい。
| 見た映画 | 01:39 | comments(0) | trackbacks(0)
ミツバチの羽音と地球の回転


2月の22日だったか、山口県の上関町で原発を建設するために作業を強行しようとした中国電力の下請け業者たちと地元の反対住民の衝突が起きた。
この日から、若きボランティアがUstreamで日々起きる事を現地から中継していた。この中継者は、やむにやまれぬ思いで、とにかく現場で何が起きているかという事をたくさんの人に知ってもらおうと、慣れないカメラを片手に必死に現場のレポートを続ける。
日を追うごとに、twitterでこの事は全国に伝わり、5000人を超える人たちがこの中継に注目し、海外の人々のために、英語やハングルで翻訳するボランティアも現れる。
“この美しい海、そして美しい人たちの暮らしを守りましょう”
毎日の訴えである。
ああ、見ちゃおられん、方法が稚拙すぎて伝わらんやろ、俺が行って、きちーっと中継したろうやんけ!
まじで思いました。
そこで見たのがこの映画、泣きました!
建設予定地の浜から3.5キロ沖の小さな島で,穫りすぎてはいけないと、昔ながらの一本釣りで鯛を釣る漁師、海岸に打ち上げられるひじきを拾ってきては大きな鍋で煮ているばあちゃんたち。
機械の入らない狭い土地に豚を連れてきて、島民の残飯を食べさせながら、その豚の鼻が耕す地面で野菜を育てるおじさん。
斜面を利用して丹誠込めてびわを育てる若者。
その彼が
“自分の生まれた場所で、できる事をやって生きていく事何でやめなければいけないのか”
原発ができたら、もうこの島では魚も捕れないし、風評で野菜やひじきやびわも売れなくなる。
賛成派の人々は、中国電力から、多額の保証金を約束され、その半額を手にする、残りは島の人たちが反対しなくなったら渡す。だからあなたたちで反対派を説得しなさい。といわれ、島の反対派の住人の家の窓に石を投げ込む。
憎しみが生まれる。
原発の善し悪しはともかくとして、
このやり方は無いだろう。
気になって日本全国の原発建設の際の反対運動について調べてみると、あらゆるところで同じ事がおこっている。
ひどいところは殺人を示唆したり、あからさまな恫喝を行ったりしている。
人は大金を目の前にすると、狂う。
この事を利用して、事業を進めるやり方は許せない。
過疎地で生活苦に瀕している人たちならなおさら。

悲しい気持ちにさせられる。
ミクロの事象に感情移入してるだけかもしれないが、
ぼくの脳はミツバチの羽に乗って、島へ飛び、寄り添う枇杷の実や、湯気をたてるひじきの鍋の横に立ち、あるいは泥だらけの豚たちの鼻をなでて、“おはよう”と言うのだ。

| 見た映画 | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0)
冷たい熱帯魚


写真家の黒田光一さんと園子温さんとのトークライブに行ってきました。
おもしろかったぁ、

犯罪者は脳の解像度が低いという話。
自分の欲望以外ピントが合わないから犯罪を犯すのではないか。
表現者として、自分のやりたいことをやるためには廻り道して、
ある程度、社会的に求められているものをクリアして、認知、評価されてから。
黒田さんは街中写真の人、何でもないものを見つめてぼーっとしている自分が肯定される。
1+1=2という予定調和の中で、作られた作品は単なる金儲けのための商品にすぎない。表現者は1+1=3とか4とか5みたいなものを作るべき。
ただ実験的に金持ちになってみたい、屋上のジャグジーに美女を侍らせて、自分がどのように変化するかを見てみたい。
人はその人生の、非常に長い時間、便所の壁を見て過ごす。
そこにあるものに知らない間に刷り込まれているのでは。


映画は、爽快感に満ち溢れていたが、監督のキャラクターはそれ以上に爽快だった。
いろいろな事に答えをもらったような気がした。
退屈につきあうという事は刷り込みを受け入れるという事。
自ら興味の対象としていなくとも、そこに身を置くという事は、
多かれ少なかれ刷り込みを受け入れるという事。
繰り返すという事は刷り込みである。
自分で自分に刷り込むものも多い。
人が自由でいるという事は、不安定な状態に身を置いているという事。安心したければ、ルールを作ってそれを守る事。もしくは規制のルールを自分に適用すること。

映画「冷たい熱帯魚」に登場する主人公は、ささやかな自由の中で生きている、あるとき出会った人物のスケールの大きなルールに翻弄され、反発し、ようやく自分のルールを確立するが、あっさりと否定され死んでゆく。

パンフォーカス(画面すべてにピントが合っている)の写真はとらえどころがないが、どこか1点にピントがあっていて、ほかがぼけている写真はわかりやすい。
わかりやすい物がもてはやされている。
どこかにフォーカスを絞って生きる方が楽なのか。全てにフォーカスを当てようとする生き方は難しいのか。

“自分で自分の人生を難しくしている”と、友人からよくいわれていた僕は、解像度が高いって事じゃん。
安心しました!
| 見た映画 | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0)
KICK-ASS


本当に映画が大好きな人のための映画。
本編を見ながら、
ニキータ、キル・ビル、男たちの挽歌、スカーフェイス、そしてバットマンなど、
映画のシーン頭をよぎる。
楽し過ぎる!
オーソドックスな設定、ストーリーでもこれほどまでに面白い映画が作れるのだ。
新しさだけを追い求めるのはもう辞めよう。
KUFU(工夫)次第でどうにでもなるのだ。
| 見た映画 | 01:05 | comments(0) | trackbacks(0)
ゾンビランド


有酸素運動は、やはり大切だ。
もう10年以上前だが、青山の路上に停めた僕のクルマから、バッグを盗まれる現場に出くわし、“待て〜”とばかりに追いかけたが、泥棒の足の早いのなんの。六本木交差点まで追いかけても距離が縮まず、相手がいきなり振り向いて”えいやっ”とばかりに手に持ったバッグを投げつけられ、受けとめたはいいが、その場に転倒、犯人に逃げられためっちゃ悔しい記憶がいまだに反応する。
この映画ではゾンビから逃げる訳だが、何故か奴らはめっぽう足が速い。おそらく今までのゾンビ映画の中では最速だろう。こんな奴らがでてくると、こちとらの夢の中でもかなり走り込んで体を鍛えんといかんな。(何のこっちゃ)
| 見た映画 | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0)
INCEPTION


初対面の人と仕事をするときに最初に話す言葉、
僕の場合多いのは
「実はね」
これは
「実はね、まだ全然打ち合わせして無いんですよ」
とか
「実はね、昨日の内にだいたい終わらしちゃったんですけどね」
とか
「実はね、今日何するか、まだナーンも考えてない」
名刺交換のすぐ後の会話である。
これは全然珍しい会話でも何でもない、英語でもactuallyという単語で
非常によく使われる言葉。
僕の場合はこの言葉によって、自分自身の深層意識の中に、
“この人とはいつも会っていて、かなり親しい間柄なのだ”
という潜入感を植え付ける、そうすると、まるで昨日までの続きのような、会話の切り出しができ、相手も、そんな僕の態度や声の調子から、長年の知り合いのような錯覚を起こすかもしれない。

何も、この映画のように、大掛かりに他人の夢の中に侵入しなくても、
人の深層意識に先入観、既成概念を植え付ける事はそう難しくはない。

何故か、人の行動や感情は情報の量と質、そして鮮度によって大きく左右される。
例えば、道を歩いていても、何かをしていても、人と話をしていても、
その場の判断に最も大きな影響を与えるものは、その時の情報なのだと思う。
周りの風景だとか、その時の前後の時間の流れの中で起る出来事等に関しては、脳の中で、頻繁にアップデートしなくても良い情報に分類されていて、ほとんどの人が過去の情報や先入観、そして固定観念で処理している。
夢の中で遠くの風景が見えなかったり、時間の感覚が無かったり、文字がなかなか読めないのはそのせいだ。
要は直近の情報が人に及ぼす影響が最も重要なのだ。

だから僕は初対面の人を目の前にする時に、30秒くらいの間で、その人との過去に於ける関わりを自分の中ででっち上げ、バーチャルなヒストリーを展開させて、その事によって生じる自らの感情をもとに、相手に話しかける事にしている。
この事が人間関係に何をもたらすか、興味がおありなら、是非試してみて欲しい。

この映画の中の体験を、感情だけ抽出したものがあるとすれば、まさしく同等の体験ができる。
そればかりではない、他人の深層意識の中に入り込むことが、そんなに難しくない事だという事を実感できる。

クリストファー・ノーランという人は、こんな事ばかり考えて、日々を過ごしているんだろうな。
彼の出世作『メメント』これもオススメです!!
| 見た映画 | 02:51 | comments(0) | trackbacks(0)
トイ・ストーリー3


子供の頃持っていたトイ人形
ロボット3等兵、珍犬ハックル、(今知ってる人いないだろうなぁ)、鉄人28号、
あとは陶器の猫の親子。
このメンバーで隊列を組み、家中を探検する。
敵はちょっとでかいゴム製の鉄腕アトム、足の裏の穴に木琴のバチをさして飛んでくるのだ。
みんなは、必死に防戦するのだが、敵はなにしろ10万馬力、でっかいし、あっという間に蹴散らされてしまう。
鉄人たちの闘いを尻目に、猫の親子はシェルターめざして必死の逃避行。
スリルに満ちた毎日だった。
そんなある日、猫のお母さんがミシンの上から転落、首のところから割れてしまった。
その日を最期に、トイ人形たちのアドベンチャーは終焉を迎える。
あまりにも悲しかったのだ。いくら後悔してもし足りない、残された子猫は悲しそうに俯いている。
セメダインでくっつけてみたが、よけい痛々しくて見るに耐えない。
暫く喪に服した後、僕の興味はマンガへと移行し、トイ人形たちは本棚でホコリを被る事に。

そして何年かが過ぎて、銀玉鉄砲が登場する、これは最強だった。
紙製の基地に立て籠るコンバットセブンに対し集中砲火を浴びせ、敵陣を殲滅する
コンバットごっこが友達の間で大流行し、本棚の人形たちは射撃訓練用の標的として、また日の目を見る事になった。
或るときのこと、バネを代えてよりパワフルに改造した銀玉鉄砲の威力を確かめようと、至近距離からの射撃ではじき飛ばされたロボット3等兵が、両手で顔を覆いながら棚から落ちていくのを見たような気がしたのだ。
割れちゃった猫の事が頭をよぎり、撃つのはコンバットだけにしようと固く心に決めた僕は、紙箱で、トイ人形たちの家を造り、保護する事にした。
ロボット3等兵はいつもニコニコしていたけれど、本当はつらかったんだろうな。
| 見た映画 | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0)
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